※新野町の人物ですが、考証の途中で山口と新野の距離感が垣間見えます。
「蘭学」と聞いて、あなたなら何をイメージするだろうか?「江戸時代に流行った学問のひとつだっけ?」というくらいだろうか、あるいは「杉田玄白と前野良沢の『解体新書』が有名だね」「エレキテルの平賀源内も蘭学者だっけ?」といった人名が出てくるあなたは、学校でしっかり先生の話を聞いていた優等生に違いない。
では、橋本宗吉という蘭学者をご存じだろうか?「大坂蘭学の祖」「日本電気学の祖」とも呼ばれるくらい活躍した人物だが、その名前はほぼ知られていない。そんな人の生まれが新野町だったとのこと。新野町は青色発光ダイオードを発明した「日亜化学工業」の創業の地でもあるため、電気のつながりを感じずにはいられない。今回はそんな橋本宗吉と蘭学について調べてみた。
新野出身?橋本宗吉ってどんな人?
橋本宗吉(はしもとそうきち)は、すでにご紹介してきた通り、江戸時代に活躍した蘭学者の一人。27歳の時には江戸に出て、杉田玄白と前野良沢の弟子である大槻玄沢の門弟となり、4ヶ月の滞在でオランダ語4万語を暗記したとされている。
その後は大坂に戻り、医者として開業、さらに大坂では初となる蘭学塾「絲漢堂(しかんどう)」を開いたことから「大坂蘭学の祖」と言われることも。塾の孫弟子には適塾を開いた緒方洪庵、さらにその弟子には一万円札でおなじみの福沢諭吉と、橋本宗吉の近くにはそうそうたる顔ぶれが並んでいることから見ても、大人物だったことは容易に想像がつく。
そんな人物の生まれが新野町というのは、地元民としては誇り高いことなのだが、その名前は徳島でもほとんど知られていない。宗吉は幼少期にはすでに大坂に住んでいた記録があり、夜逃げ同然で徳島から移動したと言われていることがその大きな理由のようだ。
生まれた場所の詳細な情報はほとんどなく、目印などもあるわけではないのだが、現在は県道24号線が走っているあたりだそう。ローソンがある交差点といえば、近くの人は大体わかるんじゃないかと思う。
ちなみに、宗吉の出身地に関しては幼少期の記録から大坂と思われていたが、昭和になってから現在の新野町に改められたとされている。
その根拠となるのは橋本家の『過去帳』。その中には、宗吉の祖父として「阿波國那賀郡荒田野(あらたの)村の郷士、橋本丹治兵衛(たんぢべえ)」という名前が記載されているそうだ。荒田野村というのは、現在の新野町の一部であると見られている。
大坂に移り住んだのは、宗吉の父である伊平(いへい)の代になってからという記録からも、宗吉の生誕地は新野町というのが有力な説ということらしい。
ただ、その『過去帳』は、大坂へ移り住んだ後に作られたものということもあり、新野町側には宗吉に関する資料は残っていない。そんな中、新野町にある平等寺で見つかった『常楽会過去帳』というものに、「丹治兵衛」の名前が載っていることが確認されたそう。
現在は新野町に橋本姓の家はないが、この人物が宗吉の祖父の橋本丹治兵衛であることが確認できれば、当時の橋本家の詳細な場所が特定できると平等寺のご住職は考えていらっしゃるようだ。(詳しくは同寺ご住職のブログを参照)
なお、資料のタイトルにある「常楽会」というのは、新野町や山口町などでいまも続く「涅槃会(ねはんえ)」という法会の別称である。過去帳には、1720年から1753年までの34年間に新野町と山口町で亡くなられた方々の「地域名、家主名、家主との続柄、ご戒名」が書かれているとのこと。
蘭学はオランダの学問?
そもそも「蘭学」ってどんな学問?というのも、きちんと理解できていなかったので調べてみた。蘭学は江戸時代の中期以降のもので、「オランダ語を通して西洋の文化や技術を学んだ学問」のことを指している。当時の日本は鎖国下だったため、オランダを通してのみ西洋のことを知ることができた時代だった。後の開国後には、他の国々とも交流が始まったため、「洋学」と名前を変えたとのこと。
学問の細かい内容としては、医学や天文学、化学などの自然科学を中心としたものとされ、現在でいう「理科」に近しいもののようだ。他にも、日本地図を作った伊能忠敬は蘭学者というわけではないが、蘭学の影響を大きく受けた人物であるとされていることからも、蘭学の範囲がかなり広いことが窺える。
エレキテルと橋本宗吉
そんな蘭学の中に「電気学」も存在する。橋本宗吉は日本で初めて静電気を科学的に研究した人物でもあるとされ、電気学にも精通していた。「日本電気学の祖」と呼ばれていたことからも、そのことは明らかだ。静電気を発生させる機械「エレキテル」を用いて、さまざまな実験を行ったと記録が残されている。
実際にどういうことをしていたかというと、大勢の人を並べて手をつながせ、全員の体に静電気を流して感電を体験させたという「百人おどし」などがあったそう。いま考えると少し怖い気もするが、当時はエンターテイメントのひとつ、くらいに捉えられていたのだろうか。
また、自身の静電気研究と実験をもとに『阿蘭陀始制(おらんだしせい)エレキテル究理原』という著書も残したとされている。こちらは出版されることはなかったが、高く評価されいくつもの書写本も作られたそう。
エレキテルといえば、平賀源内の名前が思い浮かぶかもしれない。平賀源内は日本で初めてエレキテルを修復・製作した人物ではあったが、静電気の原理を理解していたわけではなかったとされている。お隣の香川県には「平賀源内記念館」があり、エレキテルも収蔵されているが、橋本宗吉とは活用の仕方が違っていたということらしい。
新野町と「電気」の興味深いつながり
宗吉の生誕地とされる新野町と電気の関連にも注目してみると、徳島県を代表する会社「日亜化学工業」の創業の地が新野町というのも興味深い。
日亜化学工業は、青色発光ダイオードを発明した企業として、徳島だけでなく県外でも多くの人にその名が知られているが、その創業地は新野町である。日亜化学が創業したのは1956年、橋本宗吉は1836年に亡くなっているため直接的な関連性はないが、単なる偶然以上の何かを感じてしまうのは私だけだろうか。
橋本宗吉ゆかりの場所を訪ねて
いろいろと調べてみると、より興味が出てくるもので、橋本宗吉の足跡を辿ることができる場所にも行ってみた。訪れたのはかつて絲漢堂があった場所。新野町の交差点もゆかりの場所と言えるものの特に何もないので残念に感じていたが、こちらには石碑がたてられているのだ。
こちらももちろん現在は当時の建物がそのまま残っているわけでもないので、チェックするポイントは石碑のみ。とはいえ、かつてはここに蘭学者の卵が集い、後に全国で活躍する学びが生まれていたと考えると、それだけで少し胸が熱くなった。
場所は大阪でもトップクラスに人気の繁華街である心斎橋エリア。観光地であると同時に、平日の昼間から多くの人が行き交うビジネス街でもある。絲漢堂のあった場所から道路を渡ったところには幼稚園があり、園児たちの大きな声が響いて活気に溢れていたのも印象的だった。
さらに、大阪の南部に向かう。関西国際空港からほど近い場所にある「中家住宅」も橋本宗吉に関係のあるスポットとして知られている。建てられたのは江戸時代初期とされており、現在では国の重要文化財に指定されているが、一般公開されていて誰でも気軽に入ることができる場所だ。
主屋は茅葺の屋根の周囲に本瓦葺の庇がめぐらされている造りで、圧倒的な敷地の広さに驚かされる。とはいえ、江戸時代後期に残された資料によると、当時は現在よりもさらに広かったとのこと。
この場所で橋本宗吉が行ったのが松の木を使った電気実験だった。実験に使った松の木は樹齢600年とされ、周囲は5m、高さは35mほどもあり、主屋よりも高いものだったそうだ。すでに枯れてしまって切り株が残るだけとなっているが、そのそばには痕跡を残す石碑がたてられている。
実験の内容は、1752年にアメリカの実業家でもあり科学者でもあったベンジャミン・フランクリンが凧を使って行ったものとほぼ同じで、その目的は「雷が電気であると証明すること」だった。ここでは、高さ34.5mほどのところにある枝に桶を結びつけ、そこから伸びる針金を台に立った一人が持ち、地面にたつ隣の人物へと電気が走ることを観測した。
先述した『阿蘭陀始制エレキテル究理原』の中には挿絵付きで実験の様子が描写されており、二人の指の間で火花が散っていることから、実験が成功したことがわかる。
まとめ
これまで名前も知らなかった人物が、実は江戸時代にかなりの功績を残した人で、しかも自分の生活圏内のすぐ近くにゆかりがあるとは……気づいていないだけで、こういった場所は意外と多くあるのかもしれない。
今回は、「新野町 × 橋本宗吉」という組み合わせだったが、思いがけず良い学びとなったと思う。橋本宗吉の名前がもっと知られるようになれば、新野町が「電気の町」としてさらに注目されることだろう。今後の動きも楽しみに見ておきたい。
参考文献
広報あなん 2012年7月号( > 行政情報・市長通信)
広報あなん 2015年2月号( > あなんカルチャー)
広報あなん 2016年6月号( > シリーズ時代を生きた先覚者たち【其の二】橋本宗吉)
徳島新聞 2018年3月14日「徳島の科学史60 日本の電気学の祖 橋本宗吉 出生地新野で顕彰機運」
徳島新聞 2012年9月4日「阿波っ子Times 蘭学者・橋本宗吉 徳島出身 偉大な知識人」
『阿南市の先覚者たち 第1集』(阿南市文化協会)
『徳島科学史雑誌 No.38・No.39』(徳島科学史研究会)
『醫譚 復刊112号 藺学者・橋本宗吉は阿州荒田野(現・徳島県阿南市新野町)のどこで生まれたか』(日本医史学会関西支部)
『江戸時代のハイテク・イノベーター列伝』(NPO法人テクノ未来塾)
『自由研究に役立つ!実験でわかる発見・発明大百科 3』(新日本出版社)