阿南市山口町。自然豊かな、いわゆる田舎ではあるが、ちょっと変わった自慢もある土地だ。というのも、山口町では「銅鐸」が出土しているのだ。しかも、一つではなく、二つのエリアから合計三つ。今回はそんな銅鐸について調べてみた。
徳島県は銅鐸出土数が多い都道府県
山口町は阿南市の中でも小さな町ではあるが、桑野川がゆるやかに流れるのどかな雰囲気が心地よく、みかんのハウス栽培などが盛んな土地でもある。私自身がここで生まれ育ったから、というのもあるが、とても良い町だと感じている。そんな山口町で出土したのが「銅鐸」だ。
銅鐸は近畿地方を中心に西日本で出土されることがほとんどで、最も多いのは兵庫県の56点。徳島は42点で島根県に次いで全国で三番目と、かなり出土が確認されている都道府県でもある。なお、全国では500点ほどの銅鐸が出土しているとのこと。
徳島で銅鐸が見つかっているのは、主に吉野川沿いと桑野川沿い。山口町では1911年に一つ目の「田村谷銅鐸」(「流水紋銅鐸」とも)が、その後にも「長者ヶ原1号銅鐸」「長者ヶ原2号銅鐸」と、同じ町から3つの銅鐸が出土している。
田村谷銅鐸に関しては、地元の人が偶然竹やぶで見つけたそう。そのエピソードを聞いたときは、「意外にもそんな形で発見されるものなんだ」と驚いた。本当はまだいっぱい埋まってるんじゃないか、なんて思ってもいる。
「銅鐸」ってどういうもの?
おそらくほとんどの人が学校で習ったと思うので、なんとなくのイメージはあると思われるが、改めて銅鐸のことも簡単にまとめてみる。
銅鐸というのは、弥生時代に作られた青銅器のひとつ。名前の通り、素材には銅が使われている。用途としては、お祭りの際に鳴らす鐘であったとされているが、後々には大きくなっていったことから、装飾品としての意味合いが強くなったと見られている。
山口町のものは40cmほどのものということで、後者の「見るための銅鐸」という役割があったと推測される。なお、日本各地で出土している銅鐸だが、最も大きいものだと高さが144cmもあるそうだ。
まとめ
銅鐸が出土するということは、つまりこの土地で2000年近く前から誰かが生活をしていたということ。しかも、複数の銅鐸が出てきたということは、かなりの大人数での生活が営まれていたと考えるのが自然だ。
徳島県には約2万年前頃から人が住んでいたとされているようだが、あまりにも昔すぎてピンと来ないというのが本音のところだった。しかしながら、銅鐸に関しては山口町で出土していることもあり、より身近に徳島の歴史を感じるようになった。
徳島県では銅鐸以外にも古墳や遺跡などが見つかっているし、これからもおもしろそうな話があればチェックしてみようと思う。